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2015-10-24 (Sat)
隣家の解体工事が終わった。
ゴミ屋敷&本物のネズミーランド(推定100匹以上)で、不衛生なんでハエも多数いた。

工事が始まり、塀を乗り越え、我が家の庭にエスケープしてきたネズミをカラスがゲットして飛び去るというアンビリバボーな光景も見た。

タバコくわえながら破砕機を操り、大型ダンプを乗りこなす強面のおっちゃん達もネズミには苦戦したそう。

今朝は静けさが戻った。
物を壊す音、重機の振動に、不安気だった娘の表情も明るくなった。


更地を抜ける風は…
爽やかかな♪


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2015-08-22 (Sat)
5月の連休明けから、食が細くなったように感じてた。外科で胃薬を処方してもらうも食欲は戻らない。
6月には、微熱がある事に気づいた。
かかりつけ医に相談して、検査を受けることになった。血液や便の検査は異常なし…。
で、脳波検査とCTを撮ることになった。
初回は失敗。やっぱり、検査は嫌なんだよね。
夫も一緒になって、数人がかり、数時間掛けて、何とか撮るも異常なし…。
暑さのせいと思う事にした。
が。
そろそろ秋の気配だけど、一日一食が最大で、微熱も続いている。

涼しくなったら、きっと良くなると思ってるけど…
元気もあって、笑顔もあるけど…。

やっぱり、不安…。
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2015-01-16 (Fri)
三連休明け、夫をC病院に送った後、娘のリハビリへ。
その後、T市のデイサービスに送っていく途中でドクターから電話。
救急センターで電気ショックの処置を受けているそう。
トンボ帰り。
処置はうまくいった。

翌日、母から電話。
「ヘルパーがジャマでジャマでならないから、来てほしくない」と。
要介護1は、対応が難しいね。小規模多機能に変わるのは正解だな。

昨日は、娘のデイサービスの代表者から電話。
何かイライラする事があったらしく、ガラス戸を叩いて手首に傷を負ってきた。
やはり、障がい者。
手当てする事もできず、血だらけ…。
今日は、私の冬用のランニングシャツを着せて、傷を触らないように様子見。

いろいろあるけど、大した事がなくてヨカッタ、そう考えよう。

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2014-12-05 (Fri)
父は水が苦手なのか、顔を洗うのも、入浴も避けたがる。
不衛生は身体に良くないと、デイサービスの入浴サービスを勧めるも乗り気でない。

実際、見学してきたが、私のイメージと全然違ってたりもする。
自分だったら…と、考えると無理強いできないな。

いずれ自分も通る道。

大いに悩んで、最善の選択を探していこう。


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2014-11-17 (Mon)
先日、在宅介護者の集い(←仮名)に参加してきた。
介護者の腰痛や膝痛予防&対策のためのストレッチや軽い筋トレを習った。

楽しそうに動いていた女性は、認知症で要介護4の実母を看ていると言っていた。壮絶な介護生活だと思うが、笑って話す姿がホントに素敵だった。
「要介護1くらいの頃がいちばん大変だったよ」と言われた。

確かに…
今の母の状態、言動はホントにどう応えたらいいか、わからないから。

毎週月曜日の夕方4時頃、電話が掛かってくる。
多分…
デイサービスから帰ると、父がいない事に、様々な思いが湧き上がってくるのだろうな。
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2014-05-09 (Fri)
連休前半は、きょうだいの帰省に合わせて、父が一時帰宅してきた。
このまま家に戻るか、どうか、それを父自身が決めた。
そして、施設に帰ることになった。
父自身は、自分の健康回復をなにより望んでいる。私もできる限りのことをしようとは思っている。
私は思い違いをしていたんだ。その日が来るまで、人は生き続ける。その日が来るまで、人は健康を望むものなんだね。

私自身は、どうなるのだろうか、わからないでいるよ。


連休後半、娘が不調になった。
親としては、できるだけ普段と同じ生活を支援したつもりだったが。要は、つもりだったんだね。

ホントの平日に戻って、やっと落ち着いた娘の姿を見ると、休日をエンジョイできない人達がいることも知ってほしいと、切に思ったよ。
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2014-04-09 (Wed)
終了したそうな。
なんだか、勝手じゃない…とも思う。

私のサポートは、勝手にやめられない。

細動心房ということで薬を飲んでいるのだが、改善されてないらしい。

転院して、手術を受けることになるかも…
胃痛のタネが増えるな。
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2014-04-01 (Tue)
慌しい3月だった・・・

新一年生になるということで、机を用意
(増税前の駆け込み消費の波の前に買えてヨカッタ)

息子が救急車で運ばれた・・・
(ただのギックリ腰だった)

犬も喰わない夫婦喧嘩に巻き込まれた
(夫のセリフ「春だねぇ~」)

孫一号の卒園イベント『感謝の集い』によばれた
(イマドキの園児は歌って語って、文章まで書くんだ!)

3月30日、娘が26歳になった
(バースデイ恒例お泊り会企画は大好評だったよ♪)



そんな大波小波、三寒四温の3月は終わり、桜のつぼみも膨らんでる
開花はもうじき、今日4月1日

でも、母は変わらない
話しているうちに、泣いて怒って、「帰れ!」と言う




| おやきょうだい | COM(0) | TB(0) |
2014-02-28 (Fri)
11月からずっと母は言う
「お父さん、鬱じゃないから家に帰っていいから、あんたたち協力してよ。お願い」と

これは母の願いでしかない
幽閉されたお姫様を救いに、風車に突撃したドンキホーテのような母

今のこの国の現実は、認知症高齢者だけの暮らしは無理
だから、「協力はできない」と応えるしかない

母は、怒り、泣く。。。
もうずいぶんそういう電話が続いてた


せめて、自分の生きがいになるようにと、デイサービスでの料理手伝いを勧めた
利用者とわかると行かないだろうから、支援者の方から話をもちかけてもらった
昔のように父と暮らすこと一番に望む母の気持ちには沿っていないけれど、これが精一杯の親孝行

それもあって、母の介護認定の再申請をした
母のいないところで、担当者にいくつも聞かれた
認知症特有の言動を私は話し続けた

福祉課の職員に、娘の障害特性を話す時も辛かったが
母の現実を語るのはもっと辛かった


近い将来、認知症高齢者がかなりの割合になると新聞紙面に載っている
でも、そうなる前の者にとって、やっぱり他人事でしかない
やみくもに卑下するか、恐れるばかりに見える

長く生きることは尊いことに思われるような、知識と仕組みが必要なんだけど・・・


| おやきょうだい | COM(0) | TB(0) |
2013-11-14 (Thu)
新しく通い始めたジムのパウダールームで、見知らぬおばちゃん達の会話が気になった
「健康でないなら、長生きなんてしたくないね。死んだほうがいいね。」と。

気持ちはわかるが、誰も好きで病気になるワケでも、ボケるわけでもない

**********

今月に入って、毎日母から電話があった
「お父さんを連れて帰りたい」という話だ
泣いたり苛立ったりしながら、訴えてきた

私だけの力ではどうしようもないので、支援者に相談し、一時帰宅を計画した
が!
すると母は、「そういう事ならいい。あきらめる」と言い出した

多分に、母も判断力が衰えてきているのだ
そう感じた。。。


去年の今日、私の誕生日は母の認知症の検査結果を聞きに、病院に付き添った
あの日から、私は両親の老いに向き合っている

ボケてまで生きたくないと母はつぶやくが、
子ども達は、それでも一日でも長く生きてほしいと、切に思っている

**********

今日は、葬儀に参列してきた
辛く悲しい葬儀だった
娘の通所先の保護者で、未就学の通園センター時代からよく知っている母様だった
当時の私たちは、「全力母」で、一生懸命すぎて衝突することもたびたびだった
でも。
お互い、我が子をどれほど愛しているか、そのことはよくわかっていたから、
お互いを慕っていた

その方の二人のこども達は共に重いしょうがいがあった
彼女が病気になったことで、二人とも入所するしかなかった

それはしかたないことかもしれない
が!
障害の性質が違うということで、ふたりのきょうだいは別々の施設にいる

何より、誰よりも子を愛していた母の最期に立ち会うことすらできなかった

おかしいだろ!
絶対に!!!


母様は、死ぬ間際「ひとめ会わせてほしい」と懇願し、子ども達に
「病気になって、ごめんね」と謝ったと聞いた

泣いて、泣いて、泣きながら
悔しくてならなかった


私は、もう一度、私たちと愛娘の将来を考えようと決心した
こんなでいいはずがない!
そう思うから


**********



あらためて・・・
貴女に会えたことに感謝しています

心からご冥福を祈ります



| 共生 | COM(4) | TB(0) |
2013-10-11 (Fri)
ホルター心電図の結果は、心房細動だった
オシム氏やミスターがそうだったように、脳梗塞を起こしやすい病気だ
夫は、「手術を受ける」と言った
私は、「どうしても必要ならしかたないが、できれば投薬で」と応えた
不安。。。

80歳でエベレストに上ると言い張ったあの三浦雄一郎氏もそうだったとか
言い換えれば、エベレストに上る訳じゃないんだから薬で治療できるはず

専門医にかかったところ、薬での治療に決まった
少しホッとした。。。

ところが数日後、早朝発作があり、薬を飲んでいったんは治まったものの
数時間後にまた発作があったらしい
薬が変わったそう
また少し不安になる。。。


それ以外は何も変わらない



変わらない単調な時間が流れるのっていいことなんだと、あらためて思った



**********


昨日、特養主催の勉強会に出席した
テーマは「サービス付き高齢者住宅」だった

父もそういう所に入っている

県内にも何十箇所もあるそうだ
一応県の認可を受けているのだが、けっこうザックリとしたものだとわかった
身の周りのことができることが必要とか、掃除洗濯は家族でとか、コールボタンはあっても建物内に介護者がいないとか、夜間は無人とか、一方、医療行為もOKなところまで様々だった

それも空きがあるかどうかはわからないらしい・・・

断腸の思いで、父の入所を勧めたけれど
要介護3の父をすぐに受け入れてもらえたのは、運がヨカッタということなのだ

勉強会には、介護をする家族が集まっていた
ほとんどが実の娘だった
といっても、それなりに年を重ねていると見られた
親のことを話しながら、心の隅っこに私たちの時代はどうなるのだろうという感じだった



不安がないと言えばウソになる。。。




| 福は内 | COM(2) | TB(0) |
2013-09-06 (Fri)
運動量ほとんどゼロなのに、猛暑に負けないハードな8月が終わった
9月に入り、連日の雨。はっきり言って、降りすぎ!
気温もずいぶん下がり、秋の感。

昨日は、母の介護認定調査があって、立ち会った
以前なら、「こんなに、物忘れがひどくなって・・・」と一緒に落ち込んだだろうが、
少し気の持ち方を変えた

健康だし、よく食べよく動けるし、まだまだやりたい事ができるさ

あいかわらず、父は施設の食事に難癖をつけてるようだ
以前なら、そういう話を聞かせられる度、
「やっぱり、集団生活は無理なのか・・・」と困惑しただろうが・・・
少し考え方を変えた

施設側の善意に素直に頼ろう。本人の意思には違いないのだし・・・。
それに、いつまで好きな物を好きなだけ食べられるか、わからないのだから。


受け止め方を変えたことで、胃痛も少し治まった
自分の気持ちにゆとりができた
母から、何度も掛かってくる電話にも明るく返事ができるようになった

忘れたらまた言えばいいさ


朝晩、めっきり涼しくなって、父の衣類が気になってきた
せっかくだから、新しい物を買い揃えなきゃ



いきつけのジムを変えた
ちょっと時間ができた時、通り道にあれば寄れるからね

何より、以前通ってたジムを勧めてくれたヨガのイントラの女性が急死したから
まだ若かった
人の寿命はわからないね・・・


死ぬその瞬間まで生きているわけだから
その時その時で生き方が変わるのもいいことだと思えてきた


夏が終わり秋が来て、私も少し変わったかな・・・





ps.悩んだわりには夏やせどころか夏太りしてしまった。この秋は「食欲の秋」は禁止だな・・・




| おやきょうだい | COM(4) | TB(0) |
2013-08-07 (Wed)
娘の障害区分は6。要介護5くらいだろうか・・・。
身体障害と知的障害、てんかんもある。
トイレに行くことも手を洗うこともできないし、ポテトチップスの袋も開けられない。
「施設に入れたら・・・」なんて、何度も言われたもんだ。

でも。
そんな気は全くない。

家で過ごし、できるだけ共に生きていきたいとがんばってきた。
つまんない決まりごとを言い張る連中と戦ってきた。



だから、なお、辛いのかもしれない。
ここ数日、胃痛で目が覚める。
朝起きたら、吐き気がして、朝ごはんの用意をするのも大変になってる。

でも。
それより辛いのは、老いた両親の気持ちだろうな。
認知症高齢夫婦の老老介護は、私が思っているより困難が多かったと、言いわけするしかない。



父は・・・
家を離れ、施設で暮らすことになる・・・


そう決めた。








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| おやきょうだい | COM(4) | TB(0) |
2013-07-08 (Mon)
唯一エントリーしたマラソン大会前日、父は入院した
入院したとたん、「こんなところに入れられた!退院する!!」と騒動

一ヶ月で退院することを目標にケアプランを立てようにも本人も母も拒否
他人の世話にはなりたくない!!
その気持ちはわからないでもない

でも。

非現実的・・・




いろんなことがあった




でも。
書きたくない。書く気になれない。



ここしばらくはパソコンを開くこともなかった
以前なら、とにかくトレ日記だけはつけてたのに、それもしなくなった

ほったらかしにしてたせいか、パソコンの調子もすこぶる悪い


なかなか、心の整理がつかない日々が続く


今・・・
梅雨の晴れ間は、蒸し暑いだけ
風呂場のカビ取りして、時間があったらジョグるか・・・


| おやきょうだい | COM(6) | TB(0) |
2013-04-05 (Fri)
うまく足が動かなくて、自分の足を叩く姿に
周りの様子がわからなくて泣き出す姿に
そんな娘に、いつも「だいじょうぶだよ」と声を掛けてきた

「だいじょうぶだよ」
それが私の口癖・・・



けれど、だいじょうぶでない嫌な予感がした
そして、両親の住む地域の「包括支援センター」に相談に行った
帰りがけ、父の通う病院から来てほしいと連絡があった

MRI画像の結果も脳血流検査の結果も、想像を超えていた
働いて、働いて、働き続けて
やっとひと休みして、のんびり暮し始めるはずだったのに・・・

「なぜ・・・こんなことに・・・」そう、思った

そして
(私たちきょうだいそれぞれできることをできる限りの事をしようね)
そうメールのやりとりをした

今の医学では、治療法のないタイプの認知症
せめて一日でも長く穏やかに過ごしてほしい
そう思う



今は更地になった事務所兼住まいの跡地の写真
「目が見えんくなった」と何度も何度も繰り返す父のことば
管理を託された薬の効果効能
etc.

いろんなことがグルグルと頭の中に渦巻いている


否!
私が落ち込んでいるわけにはいかないよね


私の口癖「だいじょうぶだよ」
そう両親に言えるように、(ささやかだけど)がんばるから


| おやきょうだい | COM(4) | TB(0) |
2013-02-18 (Mon)
娘と同じ年のアユミさんが白血病で亡くなってから一年余り
年頭の挨拶に、「暖かくなったら、ランチしましょう」と母様に伝えた

ところが、春が来る前に、再会することとなった
悲しい場で。。。


S君とも通園時代から12年間同じ学びやに通ってた
決して軽い障害ではなかったけれど、ダウン症に特徴的な笑顔の魅力的な男の子だった


通園時代は、キャンプにプールに、バザーに
我が子ために!
お互い一生懸命過ぎて、真正面からぶつかってた
そんな親たちの集まりだった


そう・・・
いろんなことを思い出した
多分、その場にいた多くの参列者がそうだったろう

頑固で強面の職人気質で近寄りがたい雰囲気とはうらはらに
酒もタバコものまない甘党で、そして子煩悩な人だった

「急だったのよ」と、彼女はまるで微笑んでるような表情でウソをついた
3ヶ月前、脳腫瘍が見つかった時には、もう余命宣告があったそうだ
この日までの、彼女の思いは想像するに、想像しきれない。。。



S君のお父さん、享年62歳
心からご冥福を祈り

祈り続ける。。。




| 共生 | COM(0) | TB(0) |
2012-12-07 (Fri)
娘が生後80日で大病をし、命と引き換えに重い障がいが残った
あれから二十数年、「障害者福祉」にかかわってきた
当事者として・・・

その中で、「在宅」「介護」そして「高齢化」という言葉に何度も出会った
現状・現実として、これからの希望、期待として

だから。
人が年を取ること、老いることに抵抗もなかった
いずれ、誰もが通る道とわかっていた

・・・つもりだった。


先月半ば、父が体調を崩して入院した
近所のかかりつけ医が大量に出す薬の副作用が原因だった
父がショックを受けたと同じくらい私たちも驚いた
あんなに気性の激しく、理路整然と話す父の姿がずいぶんと変わってしまった

その前から母も物忘れがひどくなってきてた
明るくてオシャベリ好き、料理の得意な母
父が入院したことも重なってようで
冷蔵庫の中は、隙間もないくらい雑然としていた

ひとり黙々と片付けながらいろんなことを思った


見舞い、通院の付き添いと病院と実家を何度も何度も行き来した
何ができるわけでもなかったけれど、いてもたってもいられなかったから

私自身、こんなに動揺すると思っていなかった

だって。
・・・わかっていたつもりだったから

変わったんじゃない、老いただけ

「年齢相応ですよ」
精神科の医師もそう言った


いずれ自分も通る道
着実に、確実に・・・

心に刻みなおす。


| おやきょうだい | COM(6) | TB(0) |
2012-11-15 (Thu)
数日前の風の強い日
両親のことをいろいろ考えながら、ゆるゆると走ってた
気づけば・・・2時間余り・・・
風は気持ちよかったのだが、冷えた・・・

そして、風邪をひいた・・・


不覚。


その二日後の未明から降り出した雨、鳴り響く雷鳴
生まれて50回目の誕生日は、いかにも北陸らしい空模様だった


その日、私には大切な用事があった
それは・・・
両親の通院に付き添うこと

母は、物忘れがひどくなってきていた
父は、ここ一ヶ月腹具合が悪く、かかりつけ医の薬が効かなかった

ドシャ降りにもかかわらず、この総合病院には高齢の人がたくさんいた
長い時間待ち続けて診察を受けていた

私の両親もその中の二人



風邪をひいたおかげで(?)
つらつら考える時間が増えた

両親のこと
娘のこと・・・

そして、自分のこと



いずれ自分も通る道。





| おやきょうだい | COM(2) | TB(0) |
2012-10-31 (Wed)
家から6km先の霊園に同じ年のいとこが眠っている
時折、私は超ゆっくり走って、いとこの墓前でひと休みしながら、心の中で話をする

享年39歳


今日参列した葬儀、故人も39歳だった
出会ったのは、10年ほど前
明るい笑顔と優しい話し方が印象に残った
新婚ホヤホヤとかで、そばにいた奥様の笑顔もとっても魅力的だった

走ることの楽しさを、走ることで見せてくれた
二上山を軽やかに駆け上がる姿を今も覚えている

あれから、スポーツ大好き組の結婚式やマラソン大会で何度も会った
いつも優しい笑顔を見せてくれてた

ずっとずっと、あの笑顔が見られると誰もが思っていたのにね・・・


心からご冥福を祈ります。

| 思う | COM(0) | TB(1) |
2012-10-11 (Thu)
9月中頃までは、残暑厳しかったね
この暑さに、さすがにバテてきた娘

夜になると高熱、そして、しつこい咳
気温36℃で、体温38.8度の時はホントに心配したよ

幸い肺炎ではなかったけれど(孫2号はマイコプラズマ肺炎で入院してた)
ひさしぶりに家で二人で過ごすことが多かった

娘が休んでいる時は、静かに「断捨離」してた
なんやかんやで12年分のレース記録、きちんと年ごとに整理してファイルし直した
自転車に恋してたように、寝ても醒めても踏んでた
MTBで山に入り雪道も走り、ピストトラック車でバンクも走ってた
今は、あの熱気はないけれど・・・
大切な思い出だね

記録を見ると、年々遅くなっているマラソンのタイム
それもしかたないし、それでフツーなんだろうとも思う

速くの上手くもならなかった水泳
でも、たくさんの仲間ができたよな



そうそう。


それから。



ノーベル賞の山中教授も言ってたよな
「家族の支え」って


薬も効いて、熱も下がり咳もおさまった娘
今までと同じ生活が戻った
とても手間と時間がかかることには変わりないけど・・・

元気でいてくれるのが嬉しい



この笑顔に励まされるんだ

速くもならないし、強くもならないけど・・・
この笑顔が私を後押ししてくれる

カマキリを踏まないように
アキアカネを驚かさないように
ゆっくりと走り出すんだ

私も笑顔になれる


秋来たり・・・



| 思う | COM(4) | TB(0) |
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