| Home |
2013-04-05 (Fri)
うまく足が動かなくて、自分の足を叩く姿に
周りの様子がわからなくて泣き出す姿に
そんな娘に、いつも「だいじょうぶだよ」と声を掛けてきた
「だいじょうぶだよ」
それが私の口癖・・・
けれど、だいじょうぶでない嫌な予感がした
そして、両親の住む地域の「包括支援センター」に相談に行った
帰りがけ、父の通う病院から来てほしいと連絡があった
MRI画像の結果も脳血流検査の結果も、想像を超えていた
働いて、働いて、働き続けて
やっとひと休みして、のんびり暮し始めるはずだったのに・・・
「なぜ・・・こんなことに・・・」そう、思った
そして
(私たちきょうだいそれぞれできることをできる限りの事をしようね)
そうメールのやりとりをした
今の医学では、治療法のないタイプの認知症
せめて一日でも長く穏やかに過ごしてほしい
そう思う
今は更地になった事務所兼住まいの跡地の写真
「目が見えんくなった」と何度も何度も繰り返す父のことば
管理を託された薬の効果効能
etc.
いろんなことがグルグルと頭の中に渦巻いている
否!
私が落ち込んでいるわけにはいかないよね
私の口癖「だいじょうぶだよ」
そう両親に言えるように、(ささやかだけど)がんばるから
周りの様子がわからなくて泣き出す姿に
そんな娘に、いつも「だいじょうぶだよ」と声を掛けてきた
「だいじょうぶだよ」
それが私の口癖・・・
けれど、だいじょうぶでない嫌な予感がした
そして、両親の住む地域の「包括支援センター」に相談に行った
帰りがけ、父の通う病院から来てほしいと連絡があった
MRI画像の結果も脳血流検査の結果も、想像を超えていた
働いて、働いて、働き続けて
やっとひと休みして、のんびり暮し始めるはずだったのに・・・
「なぜ・・・こんなことに・・・」そう、思った
そして
(私たちきょうだいそれぞれできることをできる限りの事をしようね)
そうメールのやりとりをした
今の医学では、治療法のないタイプの認知症
せめて一日でも長く穏やかに過ごしてほしい
そう思う
今は更地になった事務所兼住まいの跡地の写真
「目が見えんくなった」と何度も何度も繰り返す父のことば
管理を託された薬の効果効能
etc.
いろんなことがグルグルと頭の中に渦巻いている
否!
私が落ち込んでいるわけにはいかないよね
私の口癖「だいじょうぶだよ」
そう両親に言えるように、(ささやかだけど)がんばるから
介護
海苔ピーさん、お早うさんです。
お父様が認知症を発症されたのですか。色々なタイプがあるのでしょうが、私の母の場合「色々しんどかったことから解放されたのだな」と思うことにしました。私を自分の兄だと思い「兄ちゃん」と呼び、子供時代の話をするのですが、そんなことを私が知っているはずがありません。適当に話を合わせることにしました。発症した時には既に立って歩くことができなくなっていましたので、徘徊などはありませんでした。家では介護をするのは無理だと医師に言われて施設に入っていましたが「お寿司を持ってきて貰えと先生が言わはる」と嘘をつきましたが、その施設は決まりで外部から食事の持ち込みは禁止だったのです。よほどお寿司が食べたかったのでしょう。今になると内緒で持って行って食べさせてやれば良かったと後悔しています。
海苔ピーさんが倒れるようなことになったらアカンので、決して無理をなさいませんように。
2013-04-07 07:05 ゆうさん URL [ 編集 ]
12年前の自分を思い出してました。
母のことで民生委員から呼び出され
娘さんならお母さんを引き取ったらどう!!冷たい言葉
我が家に来ても隙を見て自宅に戻る母 自分の家で
安心して暮らせないなんて悲しすぎました。
いまは埼玉医大の精神科にいる母、アルツハイマーにパーキンソン病で
話すことも自分で身体を動かすことも忘れてしまった母
それでも母は死への恐怖がないと思えるだけでわたしたちは
救われてます。
大丈夫 大丈夫 大丈夫 わたしもいつも自分に言い聞かせている
おまじないです。
お父様のこと 海苔ピーさんの今のお気持ち
わたしには痛いほど伝わってきます
ゆうさんが書かれていらっしゃるように周りが健康でなかったら
心が元気でなかったらこれから先の介護は出来ません
長いこれからの道のり頑張ってくださいとは言えませんが
どうか心穏やかにお父様のそばで寄り添っていて差し上げてください。
わたしも今年12月でキッチン工房 粉粉を閉店して母のいる
埼玉に転居します。
たとえ娘の顔を忘れてしまっても話すことが出来なくても
母の近くで寄り添って生きる覚悟の転居です。
これからいろんな意味で大変でしょうが なんちゃない精神大事です
母のことで民生委員から呼び出され
娘さんならお母さんを引き取ったらどう!!冷たい言葉
我が家に来ても隙を見て自宅に戻る母 自分の家で
安心して暮らせないなんて悲しすぎました。
いまは埼玉医大の精神科にいる母、アルツハイマーにパーキンソン病で
話すことも自分で身体を動かすことも忘れてしまった母
それでも母は死への恐怖がないと思えるだけでわたしたちは
救われてます。
大丈夫 大丈夫 大丈夫 わたしもいつも自分に言い聞かせている
おまじないです。
お父様のこと 海苔ピーさんの今のお気持ち
わたしには痛いほど伝わってきます
ゆうさんが書かれていらっしゃるように周りが健康でなかったら
心が元気でなかったらこれから先の介護は出来ません
長いこれからの道のり頑張ってくださいとは言えませんが
どうか心穏やかにお父様のそばで寄り添っていて差し上げてください。
わたしも今年12月でキッチン工房 粉粉を閉店して母のいる
埼玉に転居します。
たとえ娘の顔を忘れてしまっても話すことが出来なくても
母の近くで寄り添って生きる覚悟の転居です。
これからいろんな意味で大変でしょうが なんちゃない精神大事です
2013-04-10 22:31 けい URL [ 編集 ]
Re: ゆうさんへ
医師から説明を受けた時は、「あぁ、やっぱり…」と「どうして、こんな…」という気持ちが重なりました。
きょうだい達にはすぐ知らせましたが、両親には何も言ってません。
知ったからどうなるものでもないと思ったからです。
もっともっと、ゆっくりのんびり人生を楽しむ時間があったらよかったのに、そう思ってます。
必要な時はいつでも駆けつけられるように、という心つもりはあります。
できることをできるだけやりたいと思っています。
もちろん、優子のためにも無理はしないつもりです。
2013-04-26 12:02 海苔ピー URL [ 編集 ]
Re: けいさんへ
以前住んでいた事務所兼家屋の解体を手伝いに行った時
父の机の引き出しから、たくさんの豆粒ほどの小さな消しゴムと小指より短い鉛筆がたくさん出てきました。
あの時の気持ちは言葉にできませんでした。
それからしばらくして体調を崩し、鬱を発症し、その間に糖尿病が悪化、そして認知症となりました。
あのチビた消しゴムやチラシをノート代わりにした節約精神のおかげで私たちは大きくなれたのだと思った矢先のできごとでした。
やっと休んでこれから・・・という時に
父は、今はいろいろ公開と不安でいっぱいです。多分、病気が為せる業です。
見ていて辛いです。
実際、たいした事はできません。
もし、昔話になったら・・・いちばん年上の私が聞こうと思っています。
けいさんのおかげで、子が親を思う気持ちを知りました。
まだまだ時間があるはずですね。
ささやかですが、親孝行したいと思っています。
2013-04-26 12:12 海苔ピー URL [ 編集 ]
| Home |